2009年01月12日

論理哲学論考

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1.1 世界は事実の全体であり,ものの全体ではない。

1.12 なぜならば、事実の全体はなにが起きているかを規定し、そしてまた、なにが起きていないかをも規定するからである。

2.06 事態の成立・非成立が現実である。

3.26 どのような定義によっても、名はそれ以上分解することができない。名は原始記号である。

3.323 日常言語では、同じ語が異なった仕方で表示する−−つまり同じ語が異なったシンボルに属する−−ことがきわめて多い。あるいはまた、異なった仕方で表示する二つの語が外見上は同じ仕方で命題中に用いられることもある。

4.02 われわれは、命題記号を説明されなくても、その意義を理解することができる。このことから、命題記号が象形文字と本質的に同じであることが分かる

4.1212 示されうることは、語られえない。

4.461 命題はそれが語っていることを示しているが、トートロジーと矛盾は、それが何も語らないことを示している。

4.4611 しかしトートロジーと矛盾はナンセンスではない。それらは、「0」が算術の記号体系の一部であるように、記号体系の一部である。

5.61 論理が世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある。それゆえに、論理の内側で「世界にはこれらは存在するが、あれは存在しない」と語ることはできない。

5.62 以上の見解が、独我論はどの程度まで正しいかという問いの鍵となる。すなわち、独我論の言わんとするところはまったく正しい。ただ、それは語ることができず、自らを示すだけである。

6.124 論理命題は世界の足場を記述する。というよりもむしろ、それを提示する。論理命題は何も「扱」はない。名が意味をもち、要素命題が意義をもつことは、前提とされている。そしてこれこそ、論理命題の世界への結びつきなのである。

6.521 生の問題の解決は、問題の消滅によって気づかれる。

6.54 私を理解するひとは、私の命題をよじ登り−−その上に立ち−−それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。このようにして私の命題は解明的である。

7 語りえぬことについては,沈黙するしかない。
posted by 独身男 at 23:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする